連載エッセー「本の楽園」 第132回 人間と自然

作家
村上政彦

 東京というメガロポリスに住んでいると、自然と接する機会が少ないようにおもわれる。人間以外の生物といえば、烏と鼠。あとはゴキブリだ。ペットもいる。犬と猫は、人間の生活に同化しているので、なかば人間のようにおもわれがちだが、やはり、内部には野生=自然をかかえている。自然との共生がいわれるが、本来、人間も自然の一部である。いくら医療技術や科学が進んでも、僕らの身体が自然から切断されることはないだろう。
 おもしろい短篇集を読んだ。『赤い魚の夫婦』。作家はメキシコ人の女性で、グアダルーペ・ネッテルという。「赤い魚の夫婦」「ゴミ箱の中の戦争」「牝猫」「菌類」「北京の蛇」と5篇の短篇小説が収められている。
 どの作品にも、人間ではない生物が登場する。金魚、ゴキブリ、猫、菌類、蛇――それぞれが登場人物と関り、独自な世界を築き上げていく。なかでも、「菌類」は秀逸だ。
※以下、あらすじに関する記述があります。(編集部)

 語り手の主人公「わたし」の母は、足の爪に牡蠣の殻のような菌がとりついて離れない。腕のいい医者にかかっても、民間療法を試しても、まったくとれない。ところが、ある中国製の薬を使ったところ、数日で姿を消した。子供だった「わたし」は、すっかりそのことを忘れてしまった。
 35歳になって、10歳年上の男性と結婚した。マウリシオという人物で、「わたし」がバイオリニストとして教育を受けた国立音楽学校の学長だった。2人のあいだには子供ができなかった。
 しかし「わたし」は悲観しなかった。バイオリニストとして、国際的に活動し、仕事に専念することができたからだ。ある年、夏のセミナーでバイオリンの講師として、6週間ほどコペンハーゲンに招かれた。そのとき、同じ講師として、ラヴァルがいることを知った。
 彼は、すでによく知られたバイオリニスト兼指揮者で、「わたし」の友人は彼のバイオリンの演奏を激賞していた。「わたし」は、ラヴァルによるベートーベンのバイオリン協奏曲を買って、その演奏にすっかり陶酔してしまった。でも、コペンハーゲンへ出かけるころには、そのことを忘れていた。
 セミナーへの出発が迫って、「わたし」は夫に同行を頼んだ。淋しかったからだ。マウリシオは、「自分の演奏を問い直し、ほかの演奏家と出会う絶好のチャンスだ、そのチャンスをふいにしたり途中で中断したりすべきではない」といった。
「わたし」は独りでコペンハーゲンへゆき、すぐにラヴァルと親しくなった。恋に落ちた。ラヴァルにも家族があった。「わたし」たちは、互いの私生活には触れなかった。秋になってセミナーが終わって、2人はそれぞれの国へ、家族のもとへ、帰った。
「わたし」は夫と元通りの暮らしに戻ろうとおもった。が、できなかった。心も躰も、ラヴァルと出会う前とは違っていたのだ。「わたし」は彼を求めていた。夫には告白できなかった。「わたし」は、何とか自分を抑えた。
 2週間後、見覚えのない長距離電話がかかってきた。ある予感があった。思った通り、ラヴァルだった。彼は何も話さず、バイオリンを弾いた。「ふさがりかけていた傷口がぱっくりと開いた」。
 ラヴァルは近くの公衆電話からかけているといった。君と離れることはできない、と。「わたし」は応える。自分も同じだ、と。その後、2人はメールと携帯電話でしょっちゅう連絡をとりあった。
 そして、ラヴァルは工作をして、「わたし」をバンクーバーでのワークショップの講師として招いた。再会。2人の思いは高まって、ハンプトンで、ベルリンで、アンブロネで、逢瀬を愉しんだ。
 姑が「わたし」の変化に気づいた。夫は妻を問い詰めた。罪悪感も手伝って、「わたし」はラヴァルと会うことをやめた。連絡を絶って2週間目、股間に異変を感じた。むずがゆいのだ。
 数週間もすると、むずがゆさは耐え難くなってきた。「わたし」の躰はラヴァルを忘れない。すると、彼からも同じ症状を訴えるメールが届いた。ラヴァルは重篤な性病と案じていたが、「わたし」は菌だとおもった。
 婦人科医の診断は予想通りで、根治させるための――つまり、菌を殺すための――軟膏を処方された。「わたし」はせっせと塗ったが、やがて治療をやめた。菌がラヴァルとの絆を保つ重要な存在におもえたからだ。
「わたし」は菌を放置しておいた。それは白い点々だったが、いつか「きのこの小さな傘」が数十も現れた。必死で根治しようとしているだろうとおもっていたラヴァルから、メールが届いた。

ぼくの菌は、またきみに会うことだけを願っているよ

 夫は家を出て行った。「わたし」とラヴァルの関係は、より深く、そして切っても切れないものになった。ラヴァルは「わたし」にとりついた菌であり。「わたし」はラヴァルにとりついた菌だった――。
 菌は宿主を求めて、そこに寄生する。その性質を「わたし」とラヴァルの関係のメタファとして、うまく使っている。ほかの短篇も、それぞれの生物が登場人物たちの生涯や生活と密接に関わる。
 自然を主題にした小説として出色の出来栄えだとおもう。

お勧めの本:
『赤い魚の夫婦』(グアダルーペ・ネッテル著、宇野和美訳/現代書館)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。