連載エッセー「本の楽園」 第127回 弱さの思想

作家
村上政彦

『弱さの思想』は、高橋源一郎と辻信一の対談で進められる「思索ノート」ともいうべき本だ。僕は、30年以上に亘って小説を書いているが、デビュー前を含めて、「あ、やられた」と思った作家が何人かいる。
 そのひとりが高橋源一郎だ。彼のデビュー作、『さよなら、ギャングたち』を読んで、作中に挿入された少女漫画のページを眺め、「あ、やられた」と思った。こんな小説を書きたいと、僕自身も考えていたのだ。それ以来、高橋の仕事には注目している。
 辻信一は、恥ずかしながら最近になって知った。文化人類学者である。彼の考えを吟味して、これからの世界を創っていくのに必要な人物だと思った(辻さん、偉そうな言い方で失礼します)。そのふたりによる対談(正式には大学の共同研究)なので、読まないわけにはいかない。
 対談なので、難しくない。すぐれた文学者と研究者が立ち話しているのを傍で聴いているような易しさがある。気楽でもある。それに、なんといってもおもしろい。
 辻が弱さを自分のテーマとして意識するようになったのは、北海道にある『べてるの家』という精神障害者のコミュニティとの出会いがあるという。高橋は、自分の子どもが病気になったことがきっかけだという。
 高橋はいう。

「弱者」は、社会にとって、不必要な、害毒なのだろうか。彼らの「弱さ」は、実は、この社会にとって、なくてはならないものではないだろうか。(略)社会的「弱者」、彼らの持つ「弱さ」の中に、効率至上主義ではない、新しい社会の可能性を探ってみたい。

 議論を追っていくのもスリリングなのだが、フィールドワークと称される、「弱者」のいる現場の話がおもしろい。たとえば瀬戸内海の浮かぶ祝島。対岸の上関町四代田ノ浦に建設予定の原発に対する反対運動を23年(高橋が訪問した2011年5月時点)も続けている。
 住民の平均年齢は60代後半。人口479人。ほとんどが一人暮らしのお年寄り。島には旅館が2軒しかない。しかしお年寄りはみな元気で、定例の反原発デモが千数百回も続いている。
 お年寄りたちは、互いに助け合いながら農業や畜産業を営んで生きている。ここには「弱さ」の「強さ」がある。高橋は、彼らが、

降りていく社会のきれいな終わり方はこうだよ、という暮らし方をしている

という。
 祝島は離島だ。エネルギーひとつ取ってみても、中央への依存度が低かった。言い換えれば、自立度が高い。2011年の3・11以前から、「祝島自然エネルギー100%プロジェクト」の取り組みが始まっているが、この地域には成功の条件が整っている。

小さいからこそ、遠くて不便だからこそ、つまり「弱い」からこそ、逆にいろんなことが可能であるといういい例です

と辻はいう。
 もうひとつ、フィールドワークを取り上げよう。イギリスにある「マーティン・ハウス」という子どもホスピスだ。運営資金の70%以上が寄付で賄われていて、ボランティアも多い。施設は、森の中にある平屋。いろいろな病気の子どもが利用していて、これまでに1200人ぐらいの子どもが亡くなった。
 施設で亡くなる子どももいるが、いちばん多いのはスタッフが同伴して自宅で亡くなる子ども。「マーティン・ハウス」の仕事は大きく分けて2つあり、ひとつは子どものケア。もうひとつは親のケアだ。
 大変なのは親のケアらしい。高橋が聴いた話では、危篤状態で意識のない子どもがいて、付き添っている母親が泣いていたら、ふっと体を起こしてベッドに坐り、じっと母親を見つめた。
 そこでホスピスのスタッフが、「大丈夫よ、お母さんのことは心配しないでいいのよ、私たちがいるから」といったら、その後、安心したようにすぐ亡くなったという。子どもがいちばん苦しむのは、自分のために親が苦しむこと。
 このホスピスで大切なのは、子どもが亡くなったあと、「親がもう一度、生き直そうと思うようにすること」だという。
 親たちは、高橋のインタビューに積極的に応じてくれた。理由は、

この子がいたことを知ってもらいたい。この子が生きていたことを覚えていてもらいたいから

 また、「マーティン・ハウス」の雰囲気は穏やかで安らぐことができる。ケアの主任は、「死ぬのが怖くなくなりました」と告げたらしい。

死んでいく子どもっていうのは最弱の存在でありながら、周りを変える力があるんです

と高橋。
 これも「弱さ」の「強さ」だろう。ほかにも、精神病院を町の中心に据えたオランダのエルメローや、日本の志摩半島でダウン症の子どもたちに絵を教える「アトリエ・エレマン・プレザン」などの例が引かれる。
 エルメローを訪れた「べてるの家」の向谷地は、この町の在り方を、強さが弱さを統合するのではなく、弱さが強さを統合する「逆統合」だという。

(この社会は)強さを上に、弱さを下にした固定的なヒエラルキーでオーガナイズされている。弱さの思想とは、その「強さ・弱さ」の二元論そのものを越えていくこと

それが、社会を支配・被支配のない、よりよい場所へと変えていくのに役立つ

と辻。
 老人、子ども、女性、障害者、LGBT、在日外国人、難民、病者など、社会的に弱い存在へ思いを致し、考えることが、実は、いまの閉塞した社会を変えていくきっかけになる。僕らは、そのことに気づかねばならない。

お勧めの本:
『弱さの思想 たそがれを抱きしめる』(高橋源一郎、辻信一/大月書店)


むらかみ・まさひこ●作家。業界紙記者、学習塾経営などを経て、1987年、「純愛」で福武書店(現ベネッセ)主催・海燕新人文学賞を受賞し、作家生活に入る。日本文芸家協会会員。日本ペンクラブ会員。「ドライヴしない?」で1990年下半期、「ナイスボール」で1991年上半期、「青空」で同年下半期、「量子のベルカント」で1992年上半期、「分界線」で1993年上半期と、5回芥川賞候補となる。他の作品に、『台湾聖母』(コールサック社)、『トキオ・ウイルス』(ハルキ文庫)、『「君が代少年」を探して――台湾人と日本語教育』(平凡社新書)、『ハンスの林檎』(潮出版社)、コミック脚本『笑顔の挑戦』『愛が聴こえる』(第三文明社)など。