長嶺将真物語~沖縄空手の興亡 第16回 番外編① 稲嶺惠一元知事に聞く

ジャーナリスト
柳原滋雄

 1998年から2006年まで2期8年にわたり沖縄県知事を務めた稲嶺惠一氏は、知事時代の1999年に2回目となる沖縄伝統空手道世界大会を開催し、2005年に「空手の日」を制定したことで知られる。父親の一郎氏は早稲田大学の学生時代、東京で船越義珍に師事した空手の有段者であり、稲嶺氏自身は空手をしなかったものの、沖縄県空手道連合会の第2代会長を務めた(知事選出馬のため任期途中で交代)。稲嶺氏は自身の政治回想録『我以外皆我が師――稲嶺惠一回顧録』(琉球新報社)で、「私は長嶺将真さんを尊敬していた」と記している。現在も「株式会社りゅうせき」(旧社名:琉球石油株式会社)の参与として仕事を続ける元知事に話を伺った。(取材・2020年10月)

――長嶺空手道場で行われていた「座禅の会」に参加していたと書かれています。

稲嶺 今はもう建物もなくなってしまいましたが、久茂地の長嶺将真さんの道場で毎週日曜日の朝に座禅の会をやっていたんです。私は琉銀(琉球銀行)の常務だった金城弘征さんから誘われて参加していました。

――いつ頃のお話でしょうか。

稲嶺 1970年代の真ん中から後半でしょうね。私が40代の前半から半ばくらい。琉石(琉球石油)の役員時代です。経済人とか、文化人とかいろんな人が来ていました。実質的なリーダーだった金城さんは経済人でしたが、沖縄エッセイストクラブの創設メンバーでもあり、いわゆる文化に関心をもっている方でした。参加者の多くは私の知らない人たちでしたが、長嶺さんを除いて空手界とは関係のない人ばかりでした。その中で、禅の雰囲気を一番強くもっていたのが長嶺さんでした。

――道場の中はそれなりに広かったのでしょうか。

稲嶺 そうですね。丸くなって、輪になって座るんですね。最初に(精神統一のために)道場内をみんなでぐるぐると回ったりするわけです。それから円になって座禅を組んで、最後にみんなで般若心経を読むんですけど、たまにお寺の坊さんが来ることもあるんですが、金城さんが竹刀をもってパチパチやっていました。

長嶺道場の空手稽古は座禅から始まった

――毎週日曜日。

稲嶺 毎週通ってしました。私がよく誤解されたのは、日曜の朝に空手道場に出入りしているものだから、稲嶺は相当に空手をやるんだろうと思われたこともありました。私は長嶺将真さんと空手では直接の付き合いはなかったのですが、空手とはいろんな縁があって、私の父は船越義珍の黒帯をもらっているんですよ。

――空手をやるようにだれかにいわれたことはなかったのですか。

稲嶺 それはなかったです。私が空手に関わるようになったのは琉球新報にいた濱川(謙)君のお陰なんです。濱川君が私のところにきて、空手界を一本化したいんだが、空手界だけでまとめることは難しい状況だから、経済界も関わってほしいと。当時は感情的に修復できないくらいの溝がありました。それで私も加わることになったんです。沖縄県空手道連合会の初代会長の田場さんが病気になって、私が連合会の2代目の会長になりました。ただ知事選に出たので1年間もやらなかったと思います。逆にいうと、その経験があったから、知事の立場になったあと、空手界のためにいろいろと動きやすい面が生まれました。最終的に沖縄の空手界を「沖縄伝統空手道振興会」という形で統合できたのは私の時代ではなく、次の仲井眞(弘多知事)さんの時代です。それだけ時間がかかったわけです。

――基礎をつくられたのは参与(稲嶺元知事)ではないですか。

稲嶺 少しはお役に立てたかもしれませんが、実質的な功労者は私は濱川君だと思っているんです。私にとって長嶺さんとの関係は、座禅なんです。あとで「座禅は静の禅であって、空手は動の禅だ」という言葉を聞いて、私は長嶺さんのことをいつも思い出しました。あれほど禅という雰囲気をもっていた方はいなかった。

――長嶺道場には何年くらい通われたのですか。

稲嶺 たいしたことはないですよ。1、2年だと思います。

――やってよかったですか。

稲嶺 座禅というのは無の境地に入るというけれど、そうした境地に入ったことは1回もないんですよ。私は俗人だから、常に雑念が浮かんでいる。それでも無の境地に達しようという意識をもつことは、ふだんそんな心構えをすることはありませんので、少なくともその時間だけはまったく別の世界に浸っていました。その意味では貴重な体験だったと思います。

――そこで長嶺さんとお話しする機会も。

稲嶺 行けばご挨拶はしますし、非常に温和で温厚な方だったですね。

――現在の沖縄空手界をどう見ていますか。

アクリル板越しの取材に応じる稲嶺惠一元知事

稲嶺 仲井眞さんの英断で空手会館をつくった。あれは非常に大きかったと思います。空手会館は場所や予算の問題など、政治的な決断がない限り、できないものでした。仲井眞さんはもともと決断力のある人で、仲井眞知事だったからこそできたことだと思います。
 きれいな形ではないけれども、(空手界の)一本化には成功した。次の空手会館の建設もできた。あとは何が課題かといえば、最終的には「空手道大学」のようなものをつくらないと、この仕事は道半ばだと思います。空手の歴史や理論など、各派ばらばらの状態のものをまとめて体系化する。そのときに初めて今の空手会館が、沖縄空手のメッカ、世界の空手のメッカになるのだと思います。

――空手の歴史と理論を研究する大学。

稲嶺 やはり歴史を知らないと。それから理論をまとめないといけないと思います。濱川君の次の世代を継ぐ人たちが、おおいに頑張ってほしいと期待しています。

――知事の時代に「空手の日」が制定され、国際通りで多くの演武が行われるようになりました。

稲嶺 残念だったのは、あれだけの大規模なパレードをやりながら、本土のマスコミがほとんど取り上げなかったことです。それはものすごく淋しかったですね。

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やなぎはら・しげお●1965年生まれ、佐賀県出身。早稲田大学卒業後、編集プロダクション勤務、政党機関紙記者などを経て、1997年からフリーのジャーナリスト。東京都在住。著書に、 『沖縄空手への旅~琉球発祥の伝統武術』(第三文明社、2020年9月)、『空手は沖縄の魂なり――長嶺将真伝』(論創社、2021年10月)など。