僕の作家としての出発は、小学生のとき、町の本屋で始まった。小さな本屋の文学書がなければ、小説家になろうなっておもわなかっただろう。そして、この本屋は、地方の片隅から、広い世界に開かれた窓だった。
僕は、この窓から、フランスやイギリスを見、ロシアを知り、アメリカに行った。小さな本屋の、小さな棚には、ヨーロッパやアメリカの、多様な文学書があった。僕はそれを手に取って、それぞれの国の人々と出会い、その国の歴史や風土を学んだ。
いまはインターネットがある。ノートの大きさほどの端末さえあれば、さまざまな情報が手に入る。グーグルアースを使えば、書斎にいて、世界のどこでも見ることができる。しかしそれは本を読むことでもたらされる体験とは、別のものだ。
『本屋がアジアをつなぐ』――出版ジャーナリスト・石橋毅史(たけふみ)の書いたこの本を手に取ったのは、そのむかしレコードを聴いていた僕にすれば、いわば「ジャケ買い」である。タイトルにやられた。
僕は、アジアの物語作家を自任している。無類の本好きでもある。アジア、本屋――ふたつも殺し文句があるのだから、買わないわけにはいかない。読んでみたら、予想通りおもしろかった。
僕は「本屋」という言葉を、「書店」と区別して使っている。「書店」は書籍や雑誌を売っている小売店。「本屋」は、その書籍や雑誌を売ることを生業にする人、その仕事に就くことが宿命であったかのような人に対する呼称としている。
僕の本屋体験も、その小さな本屋の主と無関係ではない。その人は、本を大切にしていた。本を、本を買うものへの贈り物だとおもっていた節がある。
もちろん僕らは、お金を出して本を買うわけだが、主人は、受け取るお金以上の何かを、僕らに贈るように本を手渡してくれた。彼が本屋という仕事に誇りを持っていたのは、間違いない。
少し前、ある批評家兼編集者と話したとき、出版社が二極化している、という話題になった。ひとつは大手出版社。もうひとつは一人出版社。元気なのは後者である。これは書店にも通じている。
書店も二極化している。ひとつは大きなフロアに豊富な品揃えのある大型書店。もうひとつは、主人の個性を押し出した、小さな本屋。そして、元気でかつ、足を運んでおもしろいのは、後者である。
石橋は、後者の個性的な本屋とともに、大型書店であっても、さまざまな工夫を凝らした本屋のいるところを紹介している。
東京・神保町にあるブックカフェ「チェッコリ」。日本語の本もあるが、韓国語の本も多い。韓国の伝統的なお茶やマッコリも扱っている。スタッフは日本人だが、みな韓国語を話せて、日、韓どちらの顧客にも対応できるようになっている。
あるいは、かつて台北に存在した本の露天商。台湾は1987年まで戒厳令が敷かれていて、国民党の独裁が続いていた。この時代、「民主化運動を推し進め、86年の民進党結党の契機となった人びと」を「党外人士」という。言論、出版などの自由がなかったとき、民主化につながる本を密かに制作する人々が現われ、その本を密かに売る露天商が現われた。
この露天商は、堂々と禁書を売るわけにはいかない。当局の監視をかいくぐり、裏に隠しておいて、この人ならとおもう人物に売る。だから、こういう露天商には人を見る眼力が必要だった。
台北の、ある小さな本屋は、
彼らもまた党外人士だった。
いま、小さな本屋をやっている人たちにも、あの露天商の精神は受け継がれているはずだ
という。
かつて、吉本隆明だったか、「精神の闇屋」という言葉を使っていた。「闇屋」とは、第二次大戦直後に、こっそりものを売る人々のことをいった。確か、吉本は、あまり一般には流通しない(させられない)が、大切な思想を扱う人々のことを、この言葉で表現していた気がする。
どの社会にも、「党外人士」「精神の闇屋」は、いるのだとおもう。
ほかにも、ヘイト本に対抗して、反ヘイト本を売る、大阪・ジュンク堂難波書店、魯迅を支援した内山書店、沖縄・那覇市場の古本屋ウララなど、行ってみたい本屋が紹介されている。
ああ、この本を片手に、本屋巡りをしたい。
参考文献:
『本屋がアジアをつなぐ——自由を支える者たち』(石橋毅史著著/ころから株式会社)