アメリカの作家カート・ヴォネガットが、こう語った。
芸術に果たしてどんな効用があるのか
わたしが思いつく最も肯定的な理念は、〈坑内カナリア芸術論〉と勝手に名づけているものです。芸術家は非常に感受性が強いからこそ社会にとって有用だ、という理論です。彼らは超高感度ですから、有毒ガスが充満している坑内のカナリアよろしく、より屈強な人々が多少とも危険を察知するずっと前に気絶してしまいます
かつて石炭を掘るとき、工夫たちは有毒ガスから身を守るためにカナリアを連れて行った、といわれる。ヴォネガットは芸術家を、そのカナリアにたとえている。この場合の芸術には、もちろん文学も含まれる。
ヴォネガットがこの講演を行ったのは1969年。もう、半世紀も前から文学・芸術などは、役に立たないという批判があったわけだ。
『公の時代』は、そんなカナリア――アーティストチーム「Chim↑Pom」・卯城竜太とアーティスト・松田修との対談集である。彼らのアンテナによれば、現在は「公(こう)の時代」だという。公が強権的になって個人を統制するようになると、全体主義になる。
彼らのいう「公」の対極にあるのは、「私」ではなく、「個」だ。「私」は「公」から離れてひっそり生きている。しかし「個」は、「公」の中にあって、ときに異議申し立てを行い、揺さぶりをかける。
「エクストリーム(極限)な個」という言い回しが頻出する。それこそがアーティストではないか? というのが、彼らの主張だ。実にまっとうなことをいっていると思う。しかし実際は、そうなっていない。アーティストたちは、
抵抗から逸脱してクラスタ化するか、オリンピックなどの「公」やアートフェアなどの「個による公」の波に乗っかるか
これが大勢になっているという。
おもしろいのは、「エクストリームな個」を求める彼らが、大正時代の前衛芸術運動を再発見することだ。大正8年、望月桂が大杉栄らとともに、「アナキストによる美術集団『黒耀会』」を結成。
翌9年に行われた「第二回黒耀会展」では、
計140点の作品が展示され、そのうちの28点が撤回命令! 警察の指導を無視して展示してたら6点が押収されたということです。しかも押収された作品の「盗難届」を警察に提出(風間サチコ)
うーむ。これは気になる。望月桂は、東京美術学校(現・東京藝術大学)で絵画を学んだ。同期に岡本太郎の父・岡本一平と藤田嗣治がいる。藤田はフランスに渡って成功し、日本を代表する画家になる。岡本は朝日新聞社に入って人気漫画家になる。望月桂は、「へちま」という定食屋を始めて、アナキストたちを養っていたらしい。
腹がへつては/どうもならん/先づ食ひ給へ/飲みたまへ/腹がほんとに/出来たなら/そこでしつかり/やりたまへ(定食屋へちまの広告)
望月は、「へちま」に集っていた人々と、芸術を民衆のものとするため、「平民美術協会」を結成する。この協会がのちに「黒耀会」となった。
現代の社会に存在する芸術は、或る特殊の人々の専有物であり、又玩弄物の様な形式に依つて一般に認められている。こんな芸術は何処にその存在を許しておく価値があらう。此様なものは遠慮なく打破して吾々自主的のものを獲ねばならぬ。これが此の会の生れた動機である(黒耀会宣言書・大正8年)
黒耀会展は、「無審査・無償与のアンデパンダン展」で、アナキストの大杉栄、コミュニストの堺利彦、島崎藤村、高村光太郎らも参加していた。「音楽ライブあり、パフォーマンスありの一大イベント」だったという。
このあと、日本初の公立美術館「東京府美術館」(現・東京都美術館)が開いた「聖徳太子奉賛展」に対抗して、芸術家・横井弘三が企画した「理想大展覧会」(大正15年)が開かれる。
力強き、日本の無選展覧会よ、我が美術界に平等無差別な理想郷をつくれ
この展覧会も、「料理を振る舞うアメリカ帰りのおばちゃんがいたり」『「俺が作品だ」と言って自分の身体に値札をつけて会場をウロウロしていたやつ』がいたり、破天荒である。展覧会の初日は5月1日。メーデーだったので、上野公園から労働者たちが会場になだれこんで休息所と化し、混乱を恐れた警察によって午後2時半に閉鎖されたという。
「理想大展覧会」は、「公」が強化されつつある時代に、オルタナティブな「公」をつくろうとする試みだったといえる。やがて時代は昭和となって、自由にものの言えない空気が醸成されていく。
卯城と松田の時代認識によれば、令和元年は昭和元年だという。僕は、大正時代の前衛芸術について、ほとんど知らなかった。ちょっと調べてみようか。
お勧めの本:
『公の時代』(卯城竜太(Chim↑Pom)著/松田修著/朝日出版社)
『ヴォネガット、大いに語る』(カート・ヴォネガット/ハヤカワ文庫)