2人の師匠
新城孝弘館長が27歳で師事した當真正貴(とうま・せいき 1922-1998)は、松林流の長嶺将真(ながみね・しょうしん 1907-1997)、渡山(とざん)流の兼島信助(かねしま・しんすけ 1897-1973)、少林流の島袋善良(しまぶくろ・ぜんりょう 1909-1969)などから空手を学んだ。広く弟子をとる空手家ではなかったこともあり、事実上、マンツーマンで教えを受けた。
當真先生は通ってくる弟子だけに教えていました。僕が最後の弟子だったから、えらくかわいがってもらった。
師匠の自宅(沖縄市泡瀬)の居間を稽古場に、週2回通ったという。型や武器の練習をした後は、関節技を中心とする裏技の稽古にも熱心に取り組んだ。
稽古が終わると空手談義で夜遅くまで語り込むことも多かった。當真師より少し遅れて、久場良男館長にも師事したので、泊手と剛柔流の両方の空手を学んだ。つまり、首里手・泊手と那覇手に通暁する。
僕は流派という概念があまりないわけ





