書評『歌集 ゆふすげ』――美智子さま未発表の466首

ライター
本房 歩

初めて入った著者の名前

 上皇后・美智子さまの歌集『ゆふすげ』(岩波書店)が、本年1月15日の発売から1カ月で10万部を超えたという。
 美智子さまの歌集には、これまでにも上皇さま(当時は皇太子)との共著『ともしび』(1986年/ハースト婦人画報社)、単著としての歌集『瀬音』(1997年/大東出版社)がある。
 ただし、それらには「皇太子同妃両殿下御歌集」「皇后陛下御歌集」とあるのみで、作者の個人名が記されていなかった。今回は初めて、この歌集の詠み人である作者の名が「美智子」と記された。

 皇室の和歌の御用掛(ごようがかり)で、歌人であり細胞生物学者でもある永田和宏氏は、本書巻末に寄せた「解説」で次のように記している。

 もちろんお二人は、わざわざ名前を記さないでも、その歌集が誰のものであるかは一目瞭然です。
 しかし、今回、私は著者としての美智子さまのお名前を記すことを、強くお勧めいたしました。「美智子」という名を持った一人の歌人の歌として、皇太子妃、皇后、上皇后などといったバイアスをかけずに、読者の目に届いてほしいとの願いからです。美智子さまの御歌は、そのように読まれてこそ、本来の歌としての輝きを見せてくれる歌であると私は信じております。(本書/永田氏の「解説」)

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芥川賞を読む 第48回 『苦役列車』西村賢太

文筆家
水上修一

社会の底辺を彷徨う私小説

西村賢太(にしむら・けんた)著/第144回芥川賞受賞作(2010年下半期)

目先の生理的欲望だけを追い求める

 新しい文学の形を求めるのが純文学の新人登竜門としての芥川賞のひとつの使命であるがゆえに、ある種実験的な手法を用いる作品が多いことも受賞作品の一面の特色であろう。だからこそ芥川賞は分かりづらいとか、おもしろくないといった評判が多いのも分かる。
 だが、西村賢太の受賞作「苦役列車」は、おもしろかった。
 主人公は、いわば社会的には最下層の若者だ。父親が性犯罪者となったことがきっかけで地元の街から逃げ出す母子二人。高校進学も諦めて都会の片隅の薄汚れたアパートで一人暮らしをする主人公・貫太は、汗で黒く変色した寝具のなかで寝起きする。彼にあるのは今日だけで、未来など関係ない。日々、目先の食欲と性欲と酒だけを追い求め、今日一日を生き延びるためだけに港湾荷役の日雇い仕事に従事する。家賃滞納と強制退去の繰り返し。
 それまでの人生の中でまともな友人関係はなかった貫太だが、職場で一人の専門学校生と知り合い妙に意気投合する。自分の得意とする風俗遊びと飲酒を彼と共有し絆を深めつつあったのだが、二人の生い立ちや生まれ持った性(さが)による壁は高く、二人の関係に亀裂が生じ始める。 続きを読む

書評『法華経の風景』――未来へ向けて法華経が持つ可能性

ライター
本房 歩

外交戦略としての四天王寺

 鳳書院が展開する新シリーズ「アジアと芸術」の第3弾として刊行された。地理的には東北から九州まで、時間的には7世紀から現代まで、日本各地に点在する「法華経ゆかりの風景」を120点余の写真と12本のエッセーで描き出す。
 巻末には、日本思想史研究の第一人者であり、「日本学」の研究者としても国際的に著名な、佐藤弘夫・東北大学名誉教授による「解説」が掲載されている。

 冒頭は「奈良と大阪」で、聖徳太子が創建した法隆寺と四天王寺。日本一の超高層ビルである高さ300メートルの「あべのハルカス」展望台からは、眼下に四天王寺の伽藍が一望できる。林立するマンション群に囲まれ、そこだけ緑の木々で区切られた四天王寺の姿は、まるで現代と古代が混然一体となったかのようだ。
 7世紀の初めに創建されたと伝えられる四天王寺は、いくたびか戦火に見舞われ、ことに第二次世界大戦の空襲で灰燼に帰した。今日の伽藍は、創建当時と同じ位置に、同じ配置で再建されたもの。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第77回 正修止観章㊲

[3]「2. 広く解す」㉟

(9)十乗観法を明かす㉔

 ⑥破法遍(5)

 (4)従仮入空の破法遍④

 ④空観(2)

 次に、絶言を破ることについて、絶言は四句(自生・他生・共生・無因生)の外に出るといっても、十種の四句があるので、どの四句の外に出るのかと問い詰めている。 続きを読む

書評『ベーシックサービス』――格差と分断を乗り越える社会保障制度

ライター
小林芳雄

運で全てが決まってよいのか?

 現在、高い関心を集めている社会保障政策に「ベーシックサービス」がある。教育、医療、介護、障がい者福祉などのサービスを、全ての人に無償で提供するというものである。
 本書『ベーシックサービス:「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」の社会』は、提唱者の慶應義塾大学経済学部教授の井手英策氏によって書かれた入門書である。2021年に刊行した『どうせ社会は変えられないなんて誰がいった』(小学館)を大幅に加筆訂正したものだ。
 読者一人ひとりに語りかけるような文章で綴られているが、実証的なデータをふまえるだけでなく、歴史学や社会哲学などの成果を幅広く取り入れた議論が展開されているので、本書を読み進めればベーシックサービスだけでなく、我が国の社会保障政策に対する理解も確実に深まる。政治や社会保障に少しでも興味がある社会人や学生にはぜひ手にしてほしい一冊である。 続きを読む