芥川賞を読む 第66回 『おらおらでひとりいぐも』若竹千佐子

文筆家
水上修一

孤独と老いに向き合う東北弁の老婦人

若竹千佐子(わかたけ・ちさこ)著/第158回芥川賞受賞作(2017年下半期)

老いを思弁する

 芥川賞作家の受賞年齢は、だいたい30~40代が多いのだが、ダブル受賞となった第158回は、前回取り上げた「百年泥」の石井遊佳が54歳、今回、取り上げる「おらおらでひとりいぐも」の若竹千佐子が63歳と、いずれもある程度の年配者だったのがひとつの特徴だった。
 若竹は、55歳の時に夫に先立たれ、長男のすすめで小説講座に通い始めたのが小説に取り組むきっかけだった。2017年に同作で第54回文藝賞を受賞してデビューし、翌年2018年に芥川賞を受賞。2020年には田中裕子の主演で映画化もされている。まさに、人生どこでどうなるか分からない。 続きを読む

書評『「三国志」を読む』――正史から浮かび上がる英雄たちの実像

ライター
小林芳雄

正史『三国志』とは

 日本で『三国志』というと、明代(1368-1644年)に書かれた小説『三国志演義』(以後、小説『演義』)が圧倒的によく知られている。しかし民間伝承を豊富にとりこみ編集したこの作品は、中国の大衆の心情や文化を伝えるものではあるが、誇張や伝説が多く紛れ込んでおり、人物の歴史的実像を伝えているとはいいがたい。
 著者の井波律子氏(1944-2020年)は、正史『三国志』と『三国志演義』を翻訳したことで知られている。その他にも『水滸伝』や『世説新語』などの個人訳を成し遂げ、中国古典に関する多数の著書がある。
 本書は、「正史『三国志』を読む」というテーマで行われた4回の講座を加筆、編集したものである。さらに岩波現代文庫収録にあたり、2編の文章が増補されたものだ。小説『演義』の骨子となった歴史書である正史『三国志』を読み解きながら、波瀾万丈の時代を駆け抜けた英雄たちの実像に迫っていく。

 陳寿は生きている間はとかく悪口を言われどおしで、挫折つづきの不幸な歴史家でしたが、その著述はこのようにして時間を越え、脈々と生命を保ったのですから、以て瞑すべし(※)というべきでしょう。(本書50ページ、注釈は編集部)

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【講演会レポート】高田博厚とベートーヴェン――ロラン著『ベートーヴェン』をめぐる対話

創価大学文学部教授
伊藤貴雄

 第三文明文化講演会「ベートーヴェンと高田博厚」が埼玉県内で開催された(10月26日)。このたび第三文明選書として復刊されたロマン・ロラン『ベートーヴェン』の訳者である彫刻家・高田博厚を記念するもので、同書の解説を記した伊藤貴雄氏が講師をつとめた。
 講演会には、高田の彫刻作品を多数所蔵する埼玉県東松山市を代表して、森田光一市長からメッセージが寄せられ、吉澤勲教育委員会教育長をはじめ多数の来賓が参加した。以下に伊藤氏の講演要旨を紹介する。

Ⅰ 息を吹き返した翻訳

 今から一世紀前の1926年、日本で一冊の翻訳書が刊行された。ロマン・ロラン著『ベートーヴェン』(原題『ベートーヴェンの生涯』)。訳者は当時26歳の彫刻家・高田博厚である。折しもベートーヴェン没後100周年を迎える直前であった。

第三文明選書として復刊した『ベートーヴェン』

 約半世紀後の1977年――没後150周年の年――、同書は第三文明社レグルス文庫として再刊され、さらに本年(2025年)、第三文明選書として三度目の復刊が実現した。三たび世に出たこの一冊は、単なる翻訳の再生ではない。時代ごとに「人間の精神的自由とは何か」を問い直す声が、この書を呼び戻してきたのである。
 今回の復刊には特別な縁がある。筆者の勤務する創価大学では昨年、「ベートーヴェンと《歓喜の歌》展」を開催し、《第九》交響曲ウィーン初演200周年に合わせて、同大学所蔵のベートーヴェン直筆書簡(1815年9月、ブラウフル宛)を公開した。その際、同⼤学創⽴者・池⽥⼤作先⽣(以下、池田)が19歳のときの読書ノート――高田訳『ベートーヴェン』の抜粋――も展示した。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第105回 正修止観章 65

[3]「2. 広く解す」 63

(9)十乗観法を明かす 52

 ⑭歴縁対境

 「歴縁対境」の段の冒頭には、「縁に歴(へ)境に対して陰界を観ずとは、縁は六作を謂い、境は六塵を謂う」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅲ)、近刊、頁未定。大正46、100中16~17)とある。つまり、縁(外的条件)を経歴し境(対象界)に対して五陰・十二入を観察することについて、縁とは六作(行・住・坐・臥・語黙・作作[仕事の意])を意味し、境とは六塵(色・声・香・味・触・法の六境)を意味するとされる。この段は、さらに「歴縁を明かす」と「対境を明かす」の二段に分けられる。 続きを読む

連載対談 哲学は中学からはじまる――古今東西を旅する世界の名著ガイド

福谷 茂 ✕ 伊藤貴雄

第4回 各教科と哲学のつながり――①科学(理科)と哲学(下)

(対談者)
福谷 茂(京都大学名誉教授、創価大学名誉教授)
伊藤貴雄(創価大学文学部教授)

 

中学生時代の自分にお勧めしたい哲学書(続き)
~伊藤「デカルトの『方法序説』」

編集部 伊藤先生は、中学時代の自分にお勧めするとしたらどんな哲学書でしょうか。

伊藤 やはり、デカルト(※)『方法序説』(山田弘明訳、ちくま学芸文庫)ですね。
 最近はとても読みやすい翻訳も出ています。しかも、内容は自伝的です。映画にもできそうなくらいです。
 さきほど福谷先生が三浦梅園を紹介した流れで、日本の思想家と対応する近世ヨーロッパの人物を考えていたのですが、文系と理系の両面を合わせ持つ「文理融合モデル」の人物として、デカルトが浮かんだのです。

 『方法序説』は大きく6つから成り立っています。
 第1部で、「学校での勉強は役に立たなかった。だから私は〈世界という書物〉を読むために旅に出た」と述べています。学校教育への反逆から始まるのが面白いですよね。
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