世界はなぜ「池田大作」を評価するのか――第8回 世界市民を育む美術館

ライター
青山樹人

文化遺産として尊重していく

――池田名誉会長が創立した東京富士美術館は、昨年(2023年)開館40周年を迎えました。それに合わせてリブランディングを実施し、新たなコンセプトのもと、より開かれた美術館へ施設の改修や、ロゴマークやウエブサイトなども一新されました

青山樹人 古今東西を問わず、人類の遺産とも言うべき美術品や文化遺産には、それぞれの時代・地域の信仰に根差したものが数多くあります。「宗教と、芸術、文化というのは、本来、切っても切れない関係にある」(『新・人間革命』第5巻「開道」)からです。

 池田先生は早い時期から美術館の設立構想を語ってきました。会長就任の翌年(1961年)の6月17日に京都で開催された「関西第四総支部結成大会」では、早くも将来の美術館構想に言及しています。
 とくに京都や奈良には他の仏教宗派の古刹が数多くあり、伽藍や仏像などには国宝や重要文化財などに指定されたものが多数あります。まだ草創期の学会員のなかには、広宣流布の進展にあたって、こうした他宗の伽藍や仏像などをどのように捉えていけばいいのかという思いがあったのでしょう。 続きを読む

本の楽園 第184回 戦争語彙集

作家
村上政彦

 去年の2月だったとおもう。ロシア・ウクライナ戦争が始まって1年が過ぎて、文学に何ができるか? というシンポジウムの司会進行を務めた。結論で、ロシア・ウクライナ戦争は、物語の戦争でもあると述べた。
 ロシアは、ファシストの支配から同胞を救う解放者の物語。ウクライナは、祖国への侵略者から同胞を守る英雄の物語。どちらもそれぞれの正義をかざして、この物語を駆動力として戦争をたたかっている。
 文学は、このふたつの物語を解体できるカウンターストーリーを物語ることができるか? 文学を生業とする者として、それをかんがえてゆきたい――このシンポジウムの内容は、『すばる』(集英社)に掲載されたので、興味のある人はそちらをご覧いただきたい。
 さて、そのとき、僕はロシアとウクライナの駆動力になっている物語に対抗するには、もっと大きな物語が必要だと考えていた。その後、考えをあらためた。必要なのは、ひとりひとりの個人に根差した「小さな物語」なのだ、と。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第5回 戦い続ける実践者 沖拳会(沖縄拳法)〈下〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

〝平成の船越義珍〟

 47歳になる山城美智が空手を専業にして14年目。サラリーマン時代をへて、33歳から空手のみの生活に入った。
 20代半ばから大阪で空手指導を始め、これまで20年近く空手を教えてきた。
 沖縄出身者が本土に渡り、直接、空手普及を行った最初の人物は松濤館空手をつくった大正・昭和時代の船越義珍(ふなこし・ぎちん 1868-1957)が有名だ。ほかにも本部朝基(もとぶ・ちょうき 1870-1944)や摩文仁賢和(まぶに・けんわ 1889-1952)、上地完文(うえち・かんぶん 1877-1949)などが知られる。
 彼らは沖縄の古い時代の空手を日本本土に広めた功労者として日本の空手史に名を残す。だが〝平成以降〟の日本で、同じ行動で実績を残した沖縄人は私の知る限り、山城美智一人である。
 それを可能にしたのはひとえに山城が受け継いだ武術性の高さにあるといえる。事実、この日の稽古内容も〝武術の塊〟というべきものに見えた。 続きを読む

『摩訶止観』入門

創価大学大学院教授・公益財団法人東洋哲学研究所副所長
菅野博史

第45回 正修止観章⑤

[3]「2. 広く解す」③

(3)「2.3. 位を判ず」

 ここでは、ごく簡潔に「此の十種の境は、始め凡夫の正報自り、終わり聖人の方便に至る」(第三文明選書『摩訶止観』(Ⅱ)、522頁)と述べている。第一の対象界である陰・界・入境が凡夫の正報(過去世の業の果報として受けるので正報といい、衆生の身心をいう)といい、第十の菩薩境が聖人の方便とい言われているのである。

(4)「2.4. 隠顕を判ず」

 この段には、ある対象界が現れるか、隠れるかについて述べている。具体的には、「陰・入の一境は、常に自ら現前す。若しは発するも、発せざるも、恒(つね)に観を為すことを得。余の九境は発せば、観を為す可きも、発せずば、何ぞ観ずる所あらん」(『摩訶止観』(Ⅱ)、522頁)と述べている。
 すでに述べたが、五陰・十二入の一つの対象界だけがいつも目の当たりに 存在しており、生じても生じなくても、常に観察することができる。ところが、その他の九種の対象界は生じれば観察することができるが、生じなければ観察できないとされる。 続きを読む

沖縄伝統空手のいま 道場拝見 第4回 戦い続ける実践者 沖拳会(沖縄拳法)〈中〉

ジャーナリスト
柳原滋雄

組んで投げる理論

 稽古が始まって1時間がすぎたころ、休憩を入れて後半は投げ技の練習に移る。ここで見たのはいわゆる〝空手の投げ〟というより、沖縄相撲の投げに近かった。組み合った状態からの投げだったからだ。山城美智が説明しながら実演すると、きれいに投げがかかる。

相手を自分(の腰)に乗せる。これを〝橋を架ける〟といいます。要は相手が自分に乗ってくれる状態をつくる。接点を作って、橋をかけて、投げる。腰で投げます。手(の力)は使いません。組む手に力は要らない。相手を崩せるのは、(相手の体重が)かかとかつま先に乗ったとき。そのときに片足に体重が乗った状態は強いですが、両足に体重がかかっている状態は弱いです

相手を投げようと(意識)するとダメ。自分が回転する。橋を架けた状態から、橋げたを自分で崩す。そうするとスムーズに投げられます

沖縄相撲からの投げ

 山城の説明は論理的で、わかりやすい。沖拳会の稽古を見学して〝目線を外して攻撃を避ける〟という説明と、投げにおけるこの独特の説明が私にとって特に印象に残った。
 山城は説明している段階から、2本のサイを昔の武士が脇差しをするように空手の帯の内側に無造作に刺したまま指導する。武器が日常稽古に溶け込んでいた。 続きを読む